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졸려...모바일에서 작성

ㅇㅇ(61.82) 2022.06.19 04:16:46
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�ならなかった。
 アキラが我に返った時、既にアルファの攻撃は終わっていた。アルファが右手の剣でアキラの首を薙ぎ終わっていた。
 アキラは全く反応できなかった。剣が実在していれば、切られたことにすら気付かずに死んでいた。
 啞然としているアキラに向けて、アルファが悪戯っぽく笑う。
『ちゃんと観ないと駄目よ?』
「……分かった」
 アキラが気を切り替える。刃物を振り回している人間が近くにいるのに、欠片も危機意識が無いのでは話にならない。アルファに見惚れるのではなく、その動きを観察し、その挙動に集中しなければならない。アキラは強い意志を以てアルファに意識を集中した。
 自分から再び距離を取ったアルファを、アキラはわずかな変化も見落とすまいと真剣な顔で注視していた。
 そのアキラの顔が少し怪訝なものに変わる。アルファの衣装から、装飾の布が一枚剝がれ落ちたのだ。ふわりと宙に舞った布は、床に着く前に光となって消えていった。
 アルファの衣装はアキラの視覚情報にしかない映像のみの作り物だ。勝手に剝がれ落ちることなどない。つまりアルファが意図的に外したことになる。
「……アルファ。何でその布を外したんだ?」
『難易度を少し下げただけよ。私のこの布地たっぷりの服装は、私の動きを捉えにくくしているの。攻撃の予備動作を隠したりね。相手の体の各部位の動きを把握できれば、それだけ攻撃に気付きやすくなるでしょう?』
「それはそうだけど、その相手からの攻撃に逸早く気付いて、反射的に体感時間を圧縮して躱せるようになる為の訓練じゃないのか?」
『良いのよ。アキラが私の攻撃にまるで反応できないのなら、そもそも危機的状況だと認識できないでしょう? 最低でも攻撃を知覚して、攻撃されていることに気が付けないと、体感時間の感覚を切り替えるトリガーにならないわ』
「……まあ、確かに」
『アキラが私の攻撃を受けるたびに、私の衣装の布を一枚ずつ減らしていくからね』
「……は?」
『もし私の裸を堪能したいのなら、思いっきり手を抜いても構わないわよ?』
 アルファは艶麗に笑ってそう言うと、少し焦っているアキラの前で再び踊り出した。
 華麗に舞うアルファの姿を、アキラは自身の内心を表情に出さないように、顔を強張らせながら見続けた。
 訓練が続く。アキラは相手の攻撃のわずかな予兆も見逃すまいと、アルファの動きに細心の注意を払っていた。
 それでもアルファの攻撃を一度も躱せていない。衣装を煌びやかに装飾する大量の布地が、アルファの身体と剣の動きを隠して攻撃の動作を非常に分かりにくくしている。加えてアキラの目がアルファの動きに追い付いていない。その両方の所為で、気が付いた時には斬られていた。
 アキラもアルファの動きを何とか摑もうと、必死になって集中しようとしている。しかし死線の上を死に物狂いで駆け抜ける戦闘時の集中力に比べれば、今のアキラの集中力は雑なものと評価せざるを得ない。
 アルファはアキラのわずかな気の緩みを衝いて、的確に攻撃し続けていた。事前の説明通り、アルファの服から布が一枚ずつ剝がれていく。大量の布地で華やかに装飾されていた衣装から布地が次々と剝がれ落ち、装飾目的の布が消えて無くなるまですぐだった。
 布地が少なくなった分だけアルファの肌が露わになっていく。腕や脚から始まり、背中や腰、胸の谷間や尻の割れ目などが、踊るアルファの動きに合わせて、足りない布地の隙間からチラチラと見え隠れするようになっていく。
 肌が露出するほどに、その踊りに蠱惑的な動きが増えていく。アルファは相手を惑わすように四肢を大きく動かしながら、妖艶な笑顔を浮かべて流し目を送る。その次の瞬間に、相手を斬り裂いていた。
 アキラはとにかく集中して攻撃を躱そうとしている。だが集中している間は攻撃は来ない。そして集中力も長くは持続できない。集中し続けて限界に達した時、或いは集中がわずかに緩んだ時、即座に斬られていた。
 余所見をしない程度の集中を維持した上でアルファの微細な予備動作から攻撃の予兆を察し、それをトリガーにして体感時間を圧縮、ゆっくりと流れる世界の中で相手の斬撃を目で追って回避する。その為の訓練なのだが、今のところはその全てに失敗していた。
 次第にアキラの反応が鈍くなっていく。やがて肉体的にも精神的にも限界を迎えると、アルファに剣を振るわれても、遂にろくに反応も出来なくなってしまった。
 その疲労具合を確認して、アルファが訓練の切り上げを決める。
『今日はこれぐらいにしましょう』
 アキラは疲労を隠さずに大きく息を吐いた。そしてアルファの姿を今一度確認して、深い溜め息を吐いた。
 アルファは肌を隠すのには適さない煌びやかなアクセサリーぐらいしか身に着けていなかった。あれだけあった大量の布は、ほぼ全て無くなっていた。その艶容な姿が、この訓練でのアキラの不甲斐無さを分かりやすく示していた。
 少し落ち込んだ様子のアキラを、アルファがいつものように笑って慰める。
『一朝一夕で出来るようなことではないわ。訓練が無駄になることもない。気長にやりましょう』
「……そうだな。分かった」
 項垂れていても事態が良くなる訳ではない。アキラはそう考えて空元気を出し、意気を無理矢理絞り出した。
『しばらく休んだら部屋で勉強の続きをしましょうか。それとも今日は休む?』
「いや、勉強の続きを頼む。今はハンター稼業を休業中なんだ。それぐらいはしておきたい」
『分かったわ。今日は何を教えようかしらね……』
 その後、部屋に戻ったアキラは十分休んだ後でアルファの授業を受けようとした。
『今日は数学にしましょう。ハンターたる者、報酬額の計算ぐらいは出来ないとね』
「……その前に、いつまでその格好でいるつもりなんだ?」
 アルファの格好は訓練が終わった時の妖艶な姿のままだった。少なくとも勉強に適した格好ではない。
 アルファがからかうように笑う。
『着替えろと言われなかったから、この格好を気に入っているのかと思って、そのままにしておいたのだけれど』
「分かった。次から訓練が終わったらすぐに指摘するからな」
『遠慮しなくても良いのに』
「良いから、とっとと着替えろ」
 アルファが服を教師風のものに変える。一応露出だけは大幅に減った。しかし胸元は大胆に開けられている上に、スカートには極端に深いスリットまで入っていた。これはこれで艶めかしく、いろいろときわどい格好だ。
 そのアルファの格好を見たアキラの感想は、まあいいか、という程度のものだった。人間は慣れてしまうものなのだ。
 アキラは今日もいろいろ常識とずれのある環境で、いつものように勉強を続けた。





第65話 何も無かったことの確認


 アキラが家を借りてから5日経った。その間も体感時間操作の訓練は続いていたが、これといった成果は無かった。
 訓練を開始した時には装飾過剰なアルファの服がほぼ全裸になり、疲労でアキラの反応が大幅に鈍った時点で訓練を終える日々が続く。
 アキラは一度もアルファの攻撃を躱すことが出来ないままだ。反射的な動きが若干向上していたが、それは体感時間の操作とは無関係な部分の成長であり、訓練の本来の成果ではない。
 訓練を終えて休憩中のアキラはどことなく悔しそうな表情を浮かべていた。
 アルファは出来ると言っている。ならばそれは出来るはずなのだ。しかし自分には出来ていない。その兆しさえ無い。訓練の成果が一向に出てこない状況に、アキラは不甲斐無さを感じて少し重い溜め息を吐いた。
 そこでアルファが妙なことをアキラに伝える。
『アキラ。変な依頼がアキラ宛てに来ているわ』
「変な依頼?」
『そう。変な依頼。確認してみて』
 アルファが情報端末を指差す。その画面がアルファの操作により次々と切り替わり、ハンター用サイトのアキラの個人ページが表示された。そこには新たな依頼を知らせる通知が出ていた。
 情報端末に手を伸ばして依頼の内容を確認したアキラが怪訝な顔を浮かべる。依頼はシオリからのものだった。
 件名には、各種相談の依頼、と記されていた。概要や詳細の部分には一度会って話がしたいという旨と一緒にレストランの場所が記載されており、報酬としてそこでの食事代を支払うと書かれていた。
「……何だ、これ?」
 アキラは不思議そうにしながら依頼内容を再確認したが、間違いなくそう書かれていた。
『さあ? 依頼内容を相談する為の前依頼なのかしら。本人に聞かないと分からないわ』
「俺には、食事代は持つから食事でもしながら話をしようと提案されているようにしか思えないけど」
『そうかもしれないわね』
「何を話すんだよ」
『私に聞かれても分からないわ』
 一度殺し合った相手から来た意図不明の依頼に、アキラもアルファも首を傾げていた。
『それで、どうするの? 依頼を受けて会いにいく? 指定された場所が場所だから、行っても危険は無いと思うけれど』
 指定されたレストランはクガマビルの上層階にある店だ。防壁と一体化している高層ビルにはクガマヤマ都市最大のハンターオフィスも入っている。騒ぎを起こせばただでは済まない。
 シオリの用件が何にしろ、そのような場所を指定している以上、相手に自分と争うつもりは全く無いということぐらいはアキラにも分かった。
『単純に断っても良いし、無視するって手もあるわ。アキラの好きにして』
 アルファはアキラに一通りの提案を済ませた。シオリに会いにいけば気分転換になるかもしれないが、無理に勧める気も無い。本当に好きにすれば良いと考えている。
 アキラの行動が自身の目的の妨げとならない限り、アルファはアキラの意志を尊重する。
 アキラは再度依頼文を読みながら依頼を受けるかどうか悩み続けた。そしてしばらく悩んだ後、依頼を受けることに決めた。
 わざわざハンターオフィスを介してまでこのような依頼を出したシオリの真意がやはり気になる。それを安全に確認できるのなら依頼を受けても良いだろう。そう判断してのことだった。
 付け加えれば、シオリに誘われた場所が高級レストランであり、しかも食事代は相手持ち、身銭を切らずに高額な料理を食べられることも決断の理由だった。
 それが判断材料の中でどの程度の割合を占めていたのか、という点については、アキラは目を逸らすことにした。
 クガマヤマ都市の防壁と一体化している高層ビルであるクガマビルには、都市の中位区画に住居を構える高ランクハンター向けの店舗も多い。
 中には一定のハンターランク以上の者でなければ入店を断る店まであり、そのような高級店が立ち並ぶ階層は基本的にアキラのような低ランクのハンターが足を踏み入れる場所ではない。
 その上層階にシュテリアーナという高級レストランがある。ハンターランクによる入場制限などは無いが、それは単に防壁の内側に住む富裕層も顧客にしているからであり、企業の役員や高ランクハンターなど、金と力を持つ者を常連客とする一流店だ。
 シオリとの約束の日、アキラはそのシュテリアーナの前で、その非常に高級そうな外観を目の当たりにして気後れしていた。
 アルファがアキラをからかうように笑う。
『やっぱり帰る?』
『……いや、入る。何も遺跡に入る訳じゃないんだ。尻込みする必要は無い』
 アキラはそう答えて、半分ぐらいは自分に言い聞かせて店の中に入った。
 店の内装は下位区画に幾らでもあるレストランとは全く異なる高級感の漂う趣だ。そこらの酒場であれば、荒野から戻ってきたハンターが砂埃やモンスターの返り血などで多少汚れたまま入っても何の問題も無い。だがここで同じことをすれば問答無用で追い返されそうだと、アキラは少し緊張気味な様子を見せていた。
 実際には店員から体の汚れを落として着替えるように促されるだけで済む。店にはその為のシャワー等の設備が備え付けられており、清潔な服の貸出も行っている。服の洗濯等を頼むことも出来る。ハンター向けの高級店では珍しくないサービスだ。
 店員がアキラにすぐに気付き、一流の店に相応しい丁寧な接客を始める。
「本日は当店に御来店頂き誠にありがとう御座います。御予約のお客様でしょうか?」
 和やかに尋ねてきた店員に、アキラが若干慌てながら答える。
「え? あ? えーと、シオリって人がいるはずなんだ……ですけど」
「シオリ様で御座いますね? お客様のお名前をお伺いしても宜しいでしょうか?」
「アキラです」
「畏まりました。ではアキラ様。お荷物をお預かり致します」
 アキラは家を出る時、いつも通り荒野に行く感覚で準備を済ませていた。弾薬の詰まったリュックサックを先に渡すと、店員が更に手を出してくる。
『アキラ。銃もよ』
『あ、ああ、そうか』
 アキラは少し迷ったが、銃も店員に手渡した。
「御協力ありがとう御座います。お席へ御案内致します。どうぞこちらへ」
 その後、店員の案内で店の中を歩いていく。優雅な雰囲気を漂わせている店内は、そこらの店との格の差を示すもので溢れていた。床に敷かれている絨毯の柔らかな感触さえ、歩くたびにアキラに住む世界の違いを感じさせていた。
 多種多様な客が広めの間隔で配置されたテーブルで見るからに高そうな食事をとっている。そこにはどう見ても飲食に適しているとは思えないサイボーグまで座っていた。その人物の前にも多彩な料理が並べられていた。
 それを見たアキラが素朴な疑問を覚える。
『アルファ。あの人はどうやって料理を食べる気なんだと思う?』
『あの見た目で、実はちゃんと飲食可能な機体なのかもしれないわ。或いは、今は日常生活用の義体を使用していると勘違いして店に来たのかもね。又は同伴者に食べてもらって味のデータを送ってもらうつもりだとか、食べられないからせめて料理を見て楽しむつもりだとか、いろいろ考えられるわね』
『なるほど。でも最後のは無い気がするな。美味しそうな食事が目の前にあるのに食べられないとか、ちょっとした拷問だろう』
『人の考えはいろいろよ。当事者でないと分からないことも多いわ』
 アキラは真相がかなり気になったが、それを確認する為に近くで見ている訳にもいかない。諦めてそのまま店員の後に続いた。
 予約済みのテーブルには既にシオリが座っていた。アキラをそこまで案内した店員が椅子を引いて着席を促す。アキラがたじろぎながら椅子に座ると、シオリとアキラの両方の前にメニューが置かれる。シオリがそのメニューに手を付けずに店員に告げる。
「決まりましたら呼びます」
「畏まりました」
 店員が一礼して去っていく。慣れている者同士の自然な遣り取りの中に、アキラだけが取り残されていた。
 シュテリアーナはその立地から、敵対している強力なハンター同士が武力衝突を避けて示談交渉などを行う場所としても利用されている。
 既に一触即発の関係で、目が合った瞬間に殺し合いに発展しかねない者同士でも、都市とハンターオフィスの両方を敵に回すのは得策ではないと、可能な限り冷静に話し合える空間。シュテリアーナはそちらの意味でも高級店だった。
 シオリは清潔感のある洒落たスーツを着ていた。この場にいることも含めて、都市の中位区画のような安全な場所で生活している者の雰囲気を漂わせている。そのまま荒野に向かってもおかしくないアキラの格好とは正反対だ。
 アキラがそのシオリの姿を見て、そういう格好も出来る者が地下街でどうしてメイド服を着ていたのかと改めて不思議に思う。だがここでメイド服を着ると店員と間違われるからかもしれないと思い、深く気にするのはやめた。
 そしてよく見ればシオリの手は素肌であり、強化インナーを着ているようにも見えない。アキラはそれでシオリへの警戒を引き下げた。
 逆にシオリはアキラの格好を見て警戒を引き上げた。さほど高性能には見えないが防護服、つまり戦闘服を着用しているからだ。シオリにはその格好がアキラの何らかの意思表示に思えた。
 もっともアキラにそのような意図は無い。この服を着ているのはキバヤシにハンター用の適当な服を頼んだ結果であり、単純に他に着ていく服が無いだけだ。
 友好的に話を進めるのは難しいかもしれない。そう判断して改めて覚悟を決めたシオリが凜とした表情でアキラを見る。そのシオリの表情には、内に秘めた強い意志から生まれる一種の美しさがあった。
「アキラ様。私からの依頼を受けて頂き誠にありがとう御座います。約束通り代金はこちらで支払いますので、お好きな物を注文してください」
 そう言われたアキラは一度メニューを見たが、気を引き締めて視線をシオリに戻した。
「先に話を済ませよう。報酬を受け取れる結果になるかどうかは分からないからな」
 やはり警戒されていると、シオリが緊張を高める。
「……分かりました。では本題に入りましょう」
 そう告げて、お互いに気を引き締めた後、シオリはアキラに深々と頭を下げた。
「先日はアキラ様にお詫びし切れないほどの御迷惑をお掛けして、大変申し訳御座いませんでした。そしてお嬢様を助けて頂き誠にありがとう御座いました」
 本心の礼を告げた後、誠心誠意懇願する。
「アキラ様が私とお嬢様に思うことは多々ありましょうが、全ての責は私に御座います。アキラ様が望まれるならば、私の財産でも体でも命でも差し出させて頂きます。ですから、どうか、レイナお嬢様に責を問うのは慈悲を頂きたく、お願い致します」
 これもシオリの本心だ。覚悟は出来ていた。
 アキラはレイナの迂闊な行動の所為で一度確定したはずの勝利をひっくり返された上に、自分と殺し合う羽目になった。
 幸運にも、アキラもレイナも自分も死なずに済んだ。しかし酷く恨まれていても不思議は無い。従者の責が主にあるのならば、自分の責はレイナにあると判断される恐れもある。
 それだけは阻止しなければならなかった。
 シオリの言葉が口先だけのものではないことはアキラにも分かった。自分の恨みの矛先をレイナに向けさせない為に、シオリは差し出せるものを全て差し出してレイナを救おうとしている。その真摯で真剣なシオリの態度に、アキラはわずかに押されていた。
「それに答える前に一つ質問だ。何でわざわざハンターオフィスを経由した依頼の形で俺を呼び出したんだ?」
「依頼を受けた上でのことであれば、アキラ様に誠実に対応して頂けると判断いたしました」
 シオリは地下街で一度アキラを雇っていた。アキラはその時にレイナを非難しシオリを怒らせるようなことを言ってしまったのだが、それは口先だけで場を凌ぐのを良しとせず、シオリとの交戦すら視野に入れて、依頼に対してアキラなりに誠実に対応した結果だった。
 シオリはアキラの本心を聞く必要がある。アキラに敵視されているとしても、その程度を把握しなければならない。表面上だけ気にしていない素振りをして、裏でレイナを殺そうと暗躍する。それは阻止しなければならない。
 シオリがアキラに金も体も命も差し出して、それで怒りが収まるならばそれで良い。アキラはレイナの命の恩人でもあるのだ。自分の命程度で済むのであれば、仕方が無いと納得できる。
 しかしそうではないのなら、シオリはたとえその恩人相手であっても、もう一度覚悟を決めなければならない。アキラと差し違えてでもレイナを護る覚悟を。
 だからこそ、シオリはアキラから本心を聞き出さなくてはならなかった。
 アキラにシオリの意図をそこまで正確に把握するのは無理だ。それでも噓を吐いてほしくない為にこの場を整えたことだけは分かった。
「そうか。ならそっちが納得するかどうかは別にして、誠実に返答する。顔を上げて聞いてくれ」
 シオリが頭を上げる。そして覚悟を決めた表情でアキラの返答を待つ。
 その真剣なシオリの顔を見て、アキラが少し言い辛そうに答える。
「何も無かったことに関して、どうこうすることも思うことも無い。以上だ」
「……は?」
 シオリは思わず表情を崩し、自身の内心を的確に表した一言を発していた。
 アキラが少しきまりが悪そうな様子を見せる。
「あ、うん。そうだよな。説明しないと駄目だよな。分かった。今から出来る限り説明する。だから取り敢えず疑問とかは一度棚上げして、俺の話を聞いてくれ」
「……、分かりました」
「ハンターオフィス経由で俺に依頼できるってことは、俺のハンターコードは知ってるよな? ハンターオフィスのサイトの俺のページで、この前の依頼、地下街での俺の戦歴を確認してくれ。出来るか? 無理なら俺の情報端末を貸すけど」
「可能です。畏まりました。少々お待ちください」
 シオリは訝しみながらも、情報端末を取り出して言われた通りにアキラの戦歴を確認した。その途端、シオリの表情が驚きに染まる。
「……これは!?」
 そこに表示されていたアキラの地下街での戦歴は、シオリが知るものとは掛け離れた内容だった。
 都市から依頼を受けて地下街に3日通い、3日目に負傷して病院に運ばれた。ハンターオフィスが公開しているアキラの地下街での戦歴は、それで全てだった。
 間違ってはいない。しかし情報が根本的に欠落しており、決して正しい内容ではない。だがハンターオフィスの掲載情報である以上、公的にはそれで全てだ。
 尚シオリ達の戦歴の方には、ほぼ正しい内容が記載されている。ただしアキラの部分は他のハンターという記述になっており、そのハンターの情報に関しては本人設定により非公開という理由で閲覧不可となっていた。
 加えてアキラと揉めた部分については、ドランカム所属のハンターが外部のハンターと揉めたとだけ記述されており、詳細はドランカムと該当ハンターの交渉により非公開となっていた。
 困惑しているシオリに、アキラが説明を続ける。
「詳細は依頼元、つまりクガマヤマ都市との守秘義務で話せないが、それが俺の地下街での戦歴だ。何も無いだろう? 何も無かった以上、俺がどうこうすることも、どうこう思うことも無い。何も無かったんだからな」
 キバヤシとの取引により、アキラの地下街での戦歴はごくありふれた内容に書き換えられている。そしてアキラにそのことを口外する意志は無い。変更後の何事も無かった戦歴を事実として行動するつもりでいる。
 それにより、アキラの中ではシオリ達との確執などは全て無かったことになっている。少なくとも蒸し返すつもりは無い。シオリ達に対して思うことは何も無いと言えば噓になるが、だからといってその件で何らかの行動を取るつもりは無い。その辺は完全に割り切っていた。
「納得がいかないなら、そっちで勝手に都市に問い合わせてくれ。勿論、俺を巻き込まずにだ。都市に喧嘩を売る気は俺には無いからな」
 地下街の件でレイナ達に何かすると、都市を敵に回すことになる。だから何もしない。そういう意味を込めてアキラは説明を締め括った。
 シオリは情報端末に表示されているアキラの戦歴と、目の前にいるアキラに何度も視線を移した後、熟考して状況の把握に努めた。
 噓や見落とし、勘違いや暗黙の了解の差異などで、事態が致命的に悪化する恐れがあるかどうかを精査する。その上で、真剣な表情で、もう一度だけアキラに確認する。
「……何も無かった。そういうことで宜しいのですね?」
 アキラはしっかりと頷いた。
「ああ。何も無かったからな」
「分かりました。では、何も無かったことの確認にわざわざお付き合い頂いたお礼ということで、お好きな物を注文してください」
 シオリは微笑んでアキラにメニューを手に取るように促した。
「そういうことなら遠慮無く」
 アキラはそう言ってメニューを手に取った。それを見てシオリが胸を撫で下ろす。
 これも取引だ。取引が成立した以上、これでアキラも、何も無かった、という建前を覆すような真似はしないだろう。少なくともこの件でレイナに手を出すことはない。そう判断して安心した。
 アキラがメニューに手を伸ばして報酬を受け取る意志を示したことで取引は成立した。これによりシオリに残っていた懸念は消え去った。
 アキラがメニューを見て唸っている。メニューには多種多様な料理の名称が記載されているが、アキラにはその名称を読んでもそれがどのような料理なのか全く分からない。
『アルファ。このアランドュースのグリエ新パリエス風エリアネス添えって、どんな料理なんだ?』
『分からないわ。何らかの肉料理なのでしょうけれどね』
『まあ、肉料理のページに書かれてるんだから、そうなんだろうけど……』
 メニューを凝視して難しい顔で唸り続けるアキラを見て、シオリが愛想良く微笑みながら助け船を出す。
「アキラ様。私は本日のお勧めコースにしようと思います。基本外れはありませんから、迷うようでしたらアキラ様も同じコースを選んでは如何でしょう? 足りなければ追加も頼めますので、まずは店の勧めを試すのも宜しいかと」
「……お願いします」
 アキラは自分の不運を自覚している。運に頼ってメニューの中から適当に選んでみる方法もあるが、それで得体の知れない料理を選んでしまうと、この折角の機会が台無しになる。そう考えてシオリの好意に甘えることにした。
 シオリが店員を呼び注文を済ませる。しばらく待つと、数多くの料理がアキラ達の前に運ばれてきた。
 そこにアキラの知っている料理など一品も無い。どれも非常に高そうで美味しそうに見える。アキラは喉を鳴らし、真っ白な皿に載せられた食欲をそそられる料理へフォークを伸ばし、緊張した様子でゆっくりと食べ始めた。
 暴力的なまでの美味がアキラに襲いかかる。舌から伝わる未知の衝撃にアキラは我を失いそうになったが、ギリギリのところで持ち堪えた。冷静さの喪失が死に繫がる。それをアキラに理解させた数多くの経験が功を奏した。
 アキラは原材料も調理方法も分からない料理をゆっくりと咀嚼し、味わい、飲み込んだ。アキラの味覚を根本から書き換えるような素晴らしい食の体験だった。スラム街などでは決して味わえない幸福がそこにあった。
 感動の程度が一線を越えそうなアキラの様子に、アルファが心配そうに声を掛ける。
『アキラ。大丈夫?』
「だ、大丈夫だ」
 アキラは思わず念話ではなく口に出して答えてしまった。つまり、大丈夫ではない。
 そのよく分からない発言を聞いたシオリが少し不思議そうな様子を見せる。
「……アキラ様。お口に合いませんでしたか?」
 アキラは挙動不審なまま、慌てて首を横に振った。
「え? あ、大丈夫です。美味しすぎて驚いただけです」
 シオリがアキラの様子を少し不思議に思いながらも安心して顔を緩める。
「アキラ様のお口に合う料理をお勧めできたようで何よりです。制限時間などは御座いませんので、ゆっくり御賞味ください」
「は、はい」
 アキラは何とかそう答えて食事を再開した。そして再び、料理の余りの美味しさの所為で微笑ましいを超えて精神状態を心配したくなるような様子を見せていたが、今度はアルファも声を掛けたりはしなかった。下手に話しかけると、またボロを出しそうだからだ。
 シオリが自分も食事を続けながらアキラの様子を窺う。
 満面の笑みで料理を口に運んでいるアキラの姿は、切り札である加速剤を試用してまで戦った自分と互角に渡り合った人間とは到底思えない。
 どこにでもいる子供、少し幼いようにも見える少年の姿がそこにあった。
 しかしその姿を見たからといって、シオリはアキラへの警戒心を下げなかった。むしろ今回のことでアキラに対する評価と警戒を更に上げた。
 アキラの地下街での戦歴は、実際のものとは掛け離れた無様と呼べるほどに悪い内容に書き換えられている。
 ハンターオフィスの掲載情報だ。クガマヤマ都市も流石に本人の承諾無しにそのような真似は出来ない。何らかの取引は確実に行われている。
 そして自分にそのことを説明したアキラの態度を見る限り、都市への反感や不満は感じられなかった。よってそれらの悪感情を覆すほどの利益を手に入れたと判断できる。
 つまり都市側は脅しではなく利益でアキラの承諾を得たことになる。言い換えれば、アキラにそれだけの実力を認めたことになる。吹けば飛ぶようなハンターと判断されているのであれば、都市側もそれ相応の対処を取れば済むだけだからだ。
 ドランカムの事務派閥は徒党の発展と自分達の勢力拡大を狙って若手ハンターの勢力を増強させている。優秀な若手ハンターの勧誘なども積極的に進めていた。
 しかしアキラを勧誘したような形跡は無かった。アキラほどの実力の持ち主ならば、素行に多少の問題があっても勧誘するはずだ。シオリはそう考えており、いろいろと疑念を深める。
 単にドランカムのスカウトに偶然見付からなかっただけなのか。或いはあれほどの実力を持っていても打ち消せないほどの、何か大きな問題を抱えている人物なのか。どちらも考えられると思案する。
(調査が必要でしょうか……。しかしそれが藪蛇になる恐れもあります。レイナお嬢様に火の粉が降りかかるような事態は避けなければ……)
 シオリはアキラとは異なり美食に意識を乱されるようなことはなく、目の前にいる人間への対応方法を冷静に考え続けていた。
 そのシオリをアルファがじっと見ていた。
 アキラはその二人の様子になど気付かずに、身に余る至福を感じながら食事を続けていた。





第66話 本来の実力


 アキラがシュテリアーナでの食事を続け、胃が満足感と満腹感で満たされて美食に対する抵抗力をようやく付け始めた頃、テーブルに残された料理はデザートのみとなっていた。
 追加注文も出来たが、アキラは出された料理を残してしまう恐れから、葛藤の末に追加の注文を取りやめた。芸術的に加工されたデザートを少量ずつ味わい、そのたびに頬を緩ませながら、そろそろ終わりが近付いてきた至福の時への感傷に浸る。
 シオリが同じデザートを口にしながらアキラに尋ねる。
「ではアキラ様はずっとお一人でハンター稼業を続けていらっしゃるのですか?」
 アキラがデザートの味覚に意識を半分ほど奪われながら答える。
「ああ。ずっと一人でやってる。ずっとって言っても、そんなに長くハンターを続けている訳じゃないけど」
「仲間の募集やどこかの徒党に所属する予定などは無いのですか? 討伐にしろ遺物収集にしろ、お一人では大変なことも多いと思いますが」
「まあそうだけど、今のところは一人でやってる方が性に合ってるんだ。一人なら報酬の分配とかで揉めることも無いし、俺は結構好き勝手に行動する方だから、集団行動で揉めるよりはそっちの方が良いんだ」
 シオリはアキラの情報を出来る限り手に入れようと雑談を交えていろいろ聞いていた。愛想良く微笑みながら裏で慎重に情報収集に勤しむ。話す内容はアキラの感覚では雑談の範疇だが、シオリは質問内容を熟慮して尋ねていた。
 アキラも思い付いたことをいろいろと尋ねていた。シオリ達が所属しているハンター徒党であるドランカムについても何となく聞いていた。
「へー、若手のハンターを集めてるんだ」
「はい。ドランカムは党の方針として若手のハンターの加入を推進しています。最近は素人でも構わずに勧誘しているようですね」
「俺が言うのも何だけど、銃を持っただけの素人を集めても、すぐに死ぬだけなんじゃないか?」
 同じ素人という表現でも、シオリの言う素人とアキラの言う素人には大きな隔たりがある。その所為で二人の認識は微妙に食い違っているのだが、話の大筋を狂わせるほどではなかった。
「素人をそのまま荒野に送ればそうなりますが、ドランカムでは研修期間を設けるなどして対処しています。他にも装備品の貸出などを行って実力の嵩上げをしています」
「……装備か。装備は大切だよな」
 アキラはしみじみと答えた。粗悪な拳銃片手にクズスハラ街遺跡に向かって死にかけた者としては、装備の貸出など嬉々として飛び付きたくなる優遇処置に思えた。
「何かこう、ハンター徒党なんか下っ端を食い物にしているところばっかりだと思ってたけど、そういう徒党もあるんだな。ちょっと意外だ」
「長期的にはドランカム側にも十分利益のあることですから。ただ若手への優遇が過ぎるとして、古参の者から不満の声も上がっているようです」
 若手に貸し出す装備品も只ではない。若手に訓練をつけても金は稼げない。その皺寄せの負担は、今現在稼いでいる者にどうしても偏る。
 加えて若手達は徒党加入時からその恵まれた環境を与えられた所為で、その優遇を当然のように享受しやすい傾向があった。それにより、古参と若手の軋轢は徐々に深まっていた。
「しかしそれで有能な若手ハンターを数多く所属させることに成功しているのも事実です。そしてそもそも徒党の方針を決めている幹部達も大半は古参です。一概に若手が悪い、古参が悪いとは言えないのでしょうね」
 アキラの脳裏にシカラベとカツヤの姿が浮かぶ。非常に仲の悪い様子だったが、そういう背景があったのかと何となく思う。
「シカラベとカツヤだっけ? あの二人もそんな理由で仲が悪いのか?」
 シオリの表情が若干不満げに歪んだ。
「シカラベ様とカツヤ様ですか。シカラベ様は以前、引率役としてカツヤ様と一緒に行動していまして、どうも相性が非常に悪かったと聞いております。カツヤ様も悪い方ではないのですが……」
 話題はそのままカツヤに関する内容に移り、アキラはシオリから愚痴に近い話を聞かされることになった。
 既にカツヤは若手とは思えない数々の戦果を出していた。地下街でも改めて討伐チームに配属されると、他の実力者達と比べても遜色の無い成果を叩き出し、その高い実力を知らしめていた。ドランカムの事務派閥もカツヤを若手育成の成功例として大いに称賛した。
 それだけならばシオリも眉をひそめることはない。問題はその副産物にあった。異性からの人気が非常に高いのだ。
 カツヤはドランカムの若手ハンターでは一、二を争う実力者で、将来性に溢れており、徒党の事務派閥の幹部から手厚く扱われている上に、容姿も良い。
 それだけでも人気を集める要素は揃っているのだが、それに加えて他者の救援に進んで駆け付ける姿勢がカツヤの人気に拍車を掛けていた。
 当然ながらハンター稼業には危険が付き物だ。危ない状況に追い込まれ、誰かの助けを必死に願う者も多い。
 その危機的な状況で迷うこと無く駆け付けてくれて、身を挺して助けてくれた上に、無事を心から喜んでくれて、見返りも求めない者がいる。同性異性にかかわらず自然に感謝と尊敬を抱きやすいが、異性の場合はそこに好意や慕情が加わることも多かった。
 更に打算で近付き本気になった者や、実力を認めて好感から好意へ変化した者などもおり、カツヤへ強い想いを抱く者は、無自覚の者も含めてかなりの数になっていた。レイナもその一人だ。
 シオリがどこか苦々しい表情で少し刺々しい声を出す。
「私もカツヤ様がお嬢様と誠実にお付き合いなさるのでしたら、苦言を呈する気など毛頭御座いません。しかし特定の相手を作る気も無く、言い寄ってくる方々に思わせ振りな台詞で明確に断りもせず、日々その人数を増やしているのですよ!? 自覚が無ければ許されるというものでは御座いません!」
「は、はあ、そうですか……」
 アキラは曖昧に答えながら食後のコーヒーを飲む。既に3杯目で、デザートは完食済みだ。シオリは追加でデザートを2皿頼んでいた。
「確かにカツヤ様は類い稀な才をお持ちです。他者を進んで助けようとする姿勢も称賛に値します。おモテになるのも仕方の無いことでしょう」
 普段このような話題をする機会が無い所為もあり、シオリは内心溜まっていた不満を吐き出すように、少々声を荒らげている。
「ですが! 自分から口説いている訳ではないのだと! 勝手に言い寄ってくるのだと! そのような問題では御座いません! アキラ様はどう思われます!?」
 正直どうでも良い。それに命の掛かった状況で一緒に行動していれば、多少は仲が深まるのも仕方無いのではないか。
 アキラはそう思ったが、率直にそう答えると相手の機嫌を無駄に損ねるのは明白であり、以前の失敗を繰り返さないように、依頼として受けた以上誠実に対応するという自身の律に反しない程度に意見をオブラートに包む。
「いやその、俺は色気より食い気の年頃なんで、そういうことには疎いというか、意見を求められてもちょっと困るというか……。いや、その、カツヤを擁護している訳じゃなくて、生死に関わる事態が多々発生するのが当然のハンター稼業なんてやっていると、きっといろいろあるんだろうなと思う訳で……」
「しかしカツヤ様は私まで口説いたのですよ!? しかもお嬢様が隣にいる場面で! 他にもですね……」
 カツヤは自分から口説いている訳ではない、だったのではないか。そもそも本当に口説かれたのか。勝手にそう解釈しただけではないか。アキラはそう思いながらも、少々感情的になっているシオリを刺激しないように黙っていた。
「……これは余りにも、ん? 失礼」
 シオリは情報端末を取り出して何かを確認すると、我に返ったように落ち着いた態度に戻った。
「申し訳御座いません。先程同僚から連絡がありまして、諸事情で私はこれで失礼させて頂きたく思います。アキラ様は如何なさいますか? 追加の注文を御希望でしたら今が最後の機会になりますが……」
「いえ、十分食べましたので俺も出ます。とても美味しい食事をありがとうございました」
 助かった。そう思いながらアキラは丁寧に頭を下げた。
 夢のような一時が終わり、アキラは現実に戻された。今は店の外に出てシュテリアーナの外観を感慨深い様子で見ている。
『本当に美味かった。金持ってるやつらって何を食ってるんだと思ったことがあったけど、こういうのを食ってたのか』
 アルファが少し意味深に微笑む。
『そんなに気に入ったのなら、次は自費で来ましょうね』
 アキラが真顔になる。
『……いや、無理だろ』
 会計を済ませるシオリと店員の遣り取りで知った代金は、聞き間違えや幻聴だと思いたくなる金額だった。人は食事というものにそこまで金を出せるものなのだと、アキラの中にある金銭感覚を再び揺るがした出来事だった。
 アルファがどこか期待するように笑う。
『それぐらい軽く稼げるようになれば良いだけよ。頑張ってね?』
 アルファの依頼を達成する為にはどれだけ強くなる必要があるのか。それはいまだに不明だが、少なくとも今回の食事代ぐらい軽く稼げるほどの力は要るようだ。そう考えて、アキラが何とか笑って返す。
『努力はするよ』
『期待しているわ』
 そう言って楽しげに笑うアルファと一緒に、アキラは家に帰っていった。
 店の前でアキラと別れたシオリが情報端末を取り出して同僚に連絡を入れる。
「私です。今から戻りますのでお嬢様に伝えてください」
 端末越しに同僚の軽い調子の声が返ってくる。
「分かったっす。で、無事なんすか? 腕とか脚とかもげてないっすか? お嬢が心配してたっすよ?」
 普通に話せばレイナを心配させる内容になる訳が無く、そもそも自分がアキラと会っていたことをわざわざ教える必要も無いはずだと、シオリがわずかに表情を強張らせる。
「無事よ。カナエ、貴方お嬢様に余計なことを言っていないでしょうね?」
「現状把握を兼ねて雑談してただけっすよ」
「話題は?」
「いろいろっすよ。お嬢のハンター稼業の話とか、お嬢が熱を上げているっぽいカツヤってハンターの話とか。あとは地下街での話とかっすね。姐さんが死にかけた話も聞いたっすよ? 今、そいつと会ってたんすよね?」
 シオリが不機嫌を露わにする。
「……お嬢様と話す時は、地下街での話題は避けろって指示したはずよ?」
「話の流れでその話題が出ただけっすよ。姐さんと違って私は武力要員なんすから、生活面でのきめ細やかな対応を求められても困るっす。不満ならすぐに戻ってきてくださいっす」
「すぐに戻るわ」
 シオリはそれだけ言って通話を切った。

 クガマヤマ都市の中位区画、防壁の内側にあるマンションの一室で、カナエと呼ばれた女性がシオリとの通話の切れた情報端末を見て軽く笑っていた。
「不機嫌っすねー」
 そのどこかあどけなさが残る笑顔には、悪戯をして喜ぶ子供のような質の悪さが漂っていた。それはシオリの表情をほぼ正しく想像した上でのことだった。
 カナエは地下街でのシオリのようにメイド服を着ている。しかしそのメイド服は防弾、防刃、対耐衝撃性能に優れている強化繊維で織られた布地で作成されており、ハンター達が身に着ける防護服と性能的には何ら変わりない。
 このメイド服は緊急時に護衛対象を敵の攻撃からその身を盾にして護る目的で製造された物だ。スカートの裾から覗かせる黒いタイツのように見える物も強化インナーだ。
 カナエはレイナの護衛としてこの場に赴任していた。レイナの護衛という意味ではシオリと同じだが、メイドとしてレイナの世話もするシオリとは明確に異なり、純粋な戦闘要員として派遣されていた。
 シオリとの連絡を済ませたカナエがレイナの下へ戻る。レイナに話を聞かれないように一応離れていたのだ。
 ドランカムの若手ハンターは基本的に徒党の寮で暮らしているが強制ではない。そこなら徒党の支援で安く済むというだけだ。
 レイナはシオリの要望で別に部屋を借りていた。当初は徒党の寮でも良いと考えていたが、今は部屋を借りておいて良かったと思っていた。徒党の寮でメイドを二人も連れて暮らすのは流石に少々厳しいものがあるからだ。
 加えて今は地下街の件でハンター稼業を休業中だった。その状態で徒党の寮に籠もっていては外聞が悪いにも程がある。
 居間で教材片手に勉強中のレイナにカナエが声を掛ける。
「お嬢。姐さんは今から戻るそうっす」
「姐さん? ああ、シオリのことね。えっと、無事なのよね?」
「怪我とかは無いみたいっすね。すぐに戻るって言ってたっす。大丈夫っすよ」
 レイナは安心して軽く息を吐くと、カナエに少し責めるような視線を向けた。
「良かった。全く、カナエが変なことを言うから心配したじゃない。脅かさないでよ」
 もしかしたらシオリは生きて帰ってこないかもしれない。カナエはそう言ってレイナを不安にさせていた。
 カナエがしれっと答える。
「人間死ぬ時は死ぬもんすよ。特にハンター稼業なんてやってるなら尚更っす。防壁の外に出ている以上、覚悟は必要っすよ?」
 レイナが表情をわずかに不満げに歪ませる。
「……それはそうだけど」
 レイナはシオリが自分に行き先も言わずに用事があるとだけ告げて出かけたことを不安に思い、カナエにシオリの用事について聞いていた。
 そしてカナエは職務上答えられない部分を省いた上で、聞かれたことに自分なりに答えていた。
 慌てたレイナはカナエに指示を出してシオリの安否を確かめてもらった。そして何事も無かったようなので、カナエの話を冗談や苦言の類いだと思っていた。
 カナエはレイナの表情から相手の内心を読み取ると、自身の内心を顔に出さないように注意しながら思う。
(……24時間以上連絡が取れない場合は、死亡を前提として行動するように姐さんから指示が出ていること。死亡時の追加人員派遣の手筈も整っていること。姐さんの死は十分に想定しうる事態なんすけど、お嬢もまだまだ認識が甘いっすねー)
 実際にシオリは自身が死亡した場合の引継事項や各種の指示を済ませて、その必要性を十分に理解した上で、覚悟を決めてアキラと会っていた。
 カナエはレイナのことを、非常に甘やかされている子供だと認識している。
 だがそれを不満には思わない。悪く言えばその甘い子供の尻ぬぐいで生活の糧を得ているからだ。加えてレイナがその甘さで再び何かやらかせば、自分好みの状況も増えるだろうとも考えていた。
 カナエには戦闘狂の気質があり、カナエ自身もそれを自覚している。十分な報酬と程良い戦場を提供してくれる雇い主に反感を抱く必要は無い。
 レイナは地下街でもやらかしたと聞いており、その時に自分がいれば楽しめただろうとも思っていた。
 不必要な危険を避けるようにレイナを教育するのはシオリの仕事だ。カナエにはレイナの危機認識を改めさせるつもりは全く無かった。
 家に戻ったシオリはカナエと同じメイド服に着替えてから、レイナに外出の理由などを含めて丁寧に説明した。
 アキラに関する懸念事項は片付いたのだが、事情を理解していないレイナが蒸し返せば元の木阿弥になりかねない。その辺を念入りに説明した。
 話を聞き終えたレイナが、確認するようにシオリに尋ねる。
「……えっと、アキラは怒っていないってことで良いの?」
「何も無かったことに対して思うことは何も無い。そういうことです。それがアキラ様のスタンスになります。念の為に申し上げますが、レイナ様はアキラ様に地下街の件についてお礼も謝罪もしてはいけません。その話をするのも控えてください」
「お礼を言うのも駄目なの?」
「駄目です。何も無かったのです。感謝の言葉であっても、公的には存在しない事態の話を持ち出そうとしていると判断され、都市と守秘義務を締結しているアキラ様への嫌がらせと誤解される恐れすら有り得ます。くれぐれも御注意をお願い致します」
 自分とシオリの恩人に、助けてくれたお礼すら言えない。言えば迷惑になる恐れすらある。それはレイナにとって結構辛いことだった。
 しかし流石に我が儘は言えない。アキラに申し訳無く思いながらもしっかりと頷く。
「……そう。分かったわ」
 シオリがレイナの内心を察して気遣うように微笑む。
「アキラ様への礼と謝罪は私が済ませました。アキラ様も食事をお楽しみ頂けたようです。ですので、お嬢様はこれ以上気になさらずとも宜しいかと」
 カナエが楽しげに笑って口を挟む。
「見殺しにされかけたのが気に入らないのなら、私がこっそり殴っておいても良いっすよ?」
 レイナとシオリが非難の視線をカナエに向けた。カナエが冗談交じりにたじろいだ振りをする。
「おっと、アウェーっすか。今のはあれっすよ。お二人のそれはそれ、これはこれ的なわだかまりが解消できればなーっていう善意っすよ? 別に聖人君子じゃあるまいし、思うところが欠片も無いって訳じゃないんすよね? あ、違ってたら謝るっす」
 レイナとシオリがきつい視線をカナエに向けて息を合わせる。
「やめて」
「やめなさい」
 レイナもシオリもアキラに対して思うところが全く無いと言えば噓になる。アキラにはその義理も義務も無いとはいえ、自分を、主を、見殺しにされかけたのだ。確かにわだかまりは残っている。
 しかしその原因は自分達にあり、加えて結果的にはアキラに命を助けられたのだ。更にその時の出来事を後から冷静に思い返せば、自分達をどちらも生かすように出来るだけのことをしていたのは明らかだった。
 その上で心に残るわだかまりをアキラにぶつけるような恥知らずには、レイナもシオリもなりたくなかった。
 カナエが軽い感じで謝る。
「冗談っすよ。ふざけすぎました。ごめんなさいっす」
 カナエは切り札を使用したシオリと互角に渡り合ったというアキラの実力に強い興味を持っていた。
 そこで詳しい事情など何も知らない振りをして、後でアキラに少しちょっかいを出してみたかったのだが、二人の態度を見て諦めた。
(お嬢はともかく、お嬢に入れ込んでいる姐さんがこの態度。アキラってやつは、そんなにやばいんすかね? うーん。気になるっす)
 カナエは雇用主や護衛対象に対してシオリのような忠誠心を抱いてはいない。それでも雇い主に恩は感じている。レイナを庇って死ぬ覚悟もある。
 だがそれは仕事に対する姿勢に因るものであり、割に合う報酬と心地好い労働環境の提供が前提だ。主に対する在り方は、カナエとシオリとでは大きく異なっていた。
 シオリのレイナに対する忠誠心はカナエもよく知っている。だからこそ、そのシオリがその忠義を捧げる対象を見殺しにしかけた相手に対して、恐らく存在するであろうわだかまりを欠片も表に出さないことに強く驚いていた。
 カナエがその理由を推察する。結果的にはレイナを助けてもらった感謝の念がそれほどに強いから。或いはそのわだかまりを表に出すことさえ躊躇するほどにアキラを警戒しているから。そのどちらがシオリの本心なのかはカナエには分からない。
 だが後者であることを期待して、カナエは薄く笑った。

 ドランカムの施設の部屋で、険しい表情のカツヤが強い不満を示している。
「何も無かったって、どういうことなんですか!?」
 カツヤは地下街の件をドランカムに報告した際に、ミズハから徒党の方で調査するので下手に動かずに待っているように指示された。
 ドランカムにも体面がある。所属しているハンターが外部のハンターに殺されるような事態になれば相応の対処をする必要がある。そしてどのように対処するか決める為に経緯をしっかり調査する。
 だからまずはその調査結果を待つように。そう言われたカツヤは仕方無く待つことにした。
 しかし長々と待った後にようやく聞かされた調査結果は、何も無かった、だったのだ。
 納得できないと興奮気味のカツヤに、ミズハが深い謝罪を示して頭を下げる。
「ごめんなさい。納得できないのは分かるわ。そこは私もカツヤと同じ気持ちよ。でも、私もそうとしか言えないのよ」
「そ、そう言われても……」
 非の無い者から丁寧に真摯な態度でそう謝られるとカツヤも弱く、荒らげていた声を落として意気を弱めた。だが不満げな様子は残っていた。
 ミズハが平謝りして続ける。
「本当に申し訳無いけれど、ドランカムの公式見解は何も無かったで確定してしまったの。残念だけど、これは覆らないわ。私の力ではどうしようもないのよ。そしてカツヤもドランカムに所属している以上、それに合わせてもらうことになるわ」
「そ、そんなのって……」
「ごめんなさい。本当にごめんなさい」
 カツヤもミズハが悪いとは思っていない。そのミズハに平身低頭されると引き下がるしかなかった。
「……分かりました」
 ミズハが安堵の息を吐いて微笑む。
「ありがとう。助かるわ」
「いえ、俺もミズハさんに当たっても仕方無いのに、すいませんでした」
「気にしないで。こういうのを伝えるのも私の仕事よ。また何かあったら、いつでも何でも言ってちょうだい」
「はい。失礼しました」
 カツヤが部屋から出るとユミナが待っていた。
「カツヤ。気は済んだの?」
「……取り敢えずドランカムの上の方でいろいろあって、俺が何を言っても無駄だってことは分かった」
 カツヤがユミナを気遣うように尋ねる。
「ユミナは良いのか? あいつに人質にまでされたのに」
 それに対して、ユミナが軽く笑って平然と答える。
「私はカツヤが無事ならそれで良いわ」
 そうはっきりと言われて少し気恥ずかしくなったカツヤは、わずかな動揺と照れを見せた。
「そ、そうか」
「そうよ。だから、納得できないからって変な騒ぎを起こすのはやめてよね」
「分かってるよ」
 ユミナがそれで良いと我慢しているのなら、自分が下手に固執する必要は無いだろう。それよりも、ユミナがまたあんな目に遭わないように自分がもっと強くなった方が良い。カツヤはそう考えて不満を抑えた。
 ユミナも地下街の件をドランカムが何も無かったことにしたのは意外だった。
 だがカツヤとは異なり、そこに憤りなどは感じていない。自分なりに推測した結果、アキラは恐らく被害

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