先年尾上(おのえ)家の養子で橘之助(きつのすけ)といった名題俳優(やくしゃ)が、年紀(とし)二十有五に満たず、肺を煩い、余り胸が痛いから白菊の露が飲みたいという意味の辞世の句を残して儚(はかの)うなり、ア贔屭の人々はイ謂うまでもなく、ウ見巧者をはじめ、芸人の仲間にも、あわれ1リエンの眺め唯一の、白百合一つ萎んだりと、声を上げて惜しみ悼まれたほどのことである。

(泉鏡花 「葛飾砂子」 より)

日本はいち早く科学の暴力を察して、進んで之を学び取り、以て自国を防衛し、国風を混乱せしめる事なく、之の消化に成功し、東洋における最もエ聡明な独立国家としての面目を発揮する事が出来た。科学は必ずしも人間最高の徳ではないが、しかし片手に2ユウゲンの思想の玉を載せ、片手に溌剌(はつらつ)たる科学の剣を握っていたならば、列国も之には一指もふれる事が出来ず、世界に3カンゼツした理想国家となるに違いない。清国政府は、この科学の猛威に対して何のなすところも無く、列国の侵略を受けながらも、大川は細流に汚されずとでもいうような自信を装って敗北を4コトし、ひたすら老大国の表面の体裁のみをオ弥縫するに急がしく、西洋文明の本質たる科学を正視し究明する勇気無く、学生には相も変らず八股文などカ所謂繁文縟礼の学問を奨励して、列国には沐猴而冠もっこうにしてかんすの滑稽なる自尊の国とひそかに冷笑される状態に到らしめた。

(太宰治 「惜別」 より)

「これは大機里爾(タイキリイル)、つまりキ膵臓に初発した癌腫だ」と去定がク云った、「膵臓は胃の下、脾(ひ)と十二指腸とのあいだにあって、動かない臓器だから、癌が発生しても痛みを感じない、痛みによってそれとわかるころには、多く他の臓器に癌がひろがっているものだし、したがって消耗が激しくて死の5テンキをとることも早い、この病例はごくケ稀だから覚えておくがいい」

(山本周五郎 「赤ひげ診療譚」 より)